2021年09月21日

哲学メモ:「無」こそが哲学の核心である。

■「無」こそが哲学の核心である。

パルメニデス「あるものはある、無いものは無い」
パルメニデス「無は知ることもできないし語ることもできない」

・上記のパルメニデスの発言が、哲学の「核心」だと思う。

・ここで言う「無」は、我々が日常的にイメージしている「無い」とは違うものである。
・ここで言う「無」は、真に「無い」のだから、(その定義上)我々は想像することもできない。

・たとえば、「全てがまったく無い状態を想像してください」と言ったとする。おそらくあなたは「真っ暗闇の何もない空間」を思い浮かべるだろう。しかし、それは「無」ではない。だってそのイメージでは「空間」が『ある』からだ。何かが『ある』のだから、それは『無』とは言えない。

・真の「無」というのは、「何もない空間」すらも「無くてはならない」。
・しかし、我々は、「空間が無い状態」を思い浮かべることも想像することもできない。
※カントも同じことを言っている。

■無のパラドックス

・しかし、にもかからわず、この真の「無」というのを、我々は「わかる」ような気もする。
実際、我々は「わかる」ような気がするから「何もない空間って真の無とは違うよね」と語れるのだ。

・パルメニデスが主張するように本来「真の無」は考えることも語ることもできない。
・にもかからわず「これこれは『真の無』とは違うよね」と考えたり語れてしまう矛盾。
・これを「パルメニデスのパラドックス」または「無のパラドックス」と名付けよう。
・実はこのパラドックスこそが、すべての哲学的問題に関わっており、哲学の核心なのだ。


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2021年10月11日

哲学メモ:哲学の神髄

「哲学にとって、その結論(つまり思想)に賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。
重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。

優れた哲学者 とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、 最初にそれにこだわり続けた人なのである。

本格的な哲学説に関して、それをその真髄において批判したり乗り越えたりすることは、 実は不可能なことなのである。なぜなら、問題を共有してしまえば、もはやその問題を超えることはできず、それができると感じる人は、そもそも問題を共有していない(「別の世界に住んでいる」)人だからである。本当に理解できたならもう決して超えることができない――ここに哲学というものの素晴らしさと恐ろしさがある」
永井均『ウィトゲンシュタイン入門』

哲学の神髄はここにあると思う。

パラドックスがあると、人は答えを求めたがるが、真に大事なのは「それらの問題がいかに不可能であるかを思い知ること(問題の困難さを正しく理解すること)」である。

「無のパラドックス」や「アキレスと亀のパラドックス」や「現象報告のパラドックス」などなど。
世界は「本当に理解できたならもう決して超えることができない」ような問題に溢れている。

「世界に隠されているパラドックス(矛盾)に気づくこと」
これを「哲学の定義(=哲学者に求められる唯一の素養)」だと言っても良いだろう。


・難しい問題を解決するのが哲学者の仕事だと思われがちだが、むしろ解決不可能な問題をわざわざ見つけ出して、「ほら解決できないだろ?世界(人間)は本来こうできているんだよ!」と突きつけるのが哲学者の真の仕事なのである。(答えを出すことはそれほど重要ではない)
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2021年10月29日

ニコニコチャンネル開設!

このたびニコニコチャンネルを開設しました!
いっぱい話したいと思います!

「飲茶の史上最強の哲学ラジオ」

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