2021年10月11日

哲学メモ:哲学の神髄

「哲学にとって、その結論(つまり思想)に賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。
重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。

優れた哲学者 とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、 最初にそれにこだわり続けた人なのである。

本格的な哲学説に関して、それをその真髄において批判したり乗り越えたりすることは、 実は不可能なことなのである。なぜなら、問題を共有してしまえば、もはやその問題を超えることはできず、それができると感じる人は、そもそも問題を共有していない(「別の世界に住んでいる」)人だからである。本当に理解できたならもう決して超えることができない――ここに哲学というものの素晴らしさと恐ろしさがある」
永井均『ウィトゲンシュタイン入門』

哲学の神髄はここにあると思う。

パラドックスがあると、人は答えを求めたがるが、真に大事なのは「それらの問題がいかに不可能であるかを思い知ること(問題の困難さを正しく理解すること)」である。

「無のパラドックス」や「アキレスと亀のパラドックス」や「現象報告のパラドックス」などなど。
世界は「本当に理解できたならもう決して超えることができない」ような問題に溢れている。

「世界に隠されているパラドックス(矛盾)に気づくこと」
これを「哲学の定義(=哲学者に求められる唯一の素養)」だと言っても良いだろう。


・難しい問題を解決するのが哲学者の仕事だと思われがちだが、むしろ解決不可能な問題をわざわざ見つけ出して、「ほら解決できないだろ?世界(人間)は本来こうできているんだよ!」と突きつけるのが哲学者の真の仕事なのである。(答えを出すことはそれほど重要ではない)


posted by 飲茶 | Comment(2) | 哲学メモ
この記事へのコメント
哲学とはその本質を探究する学問である。善と言う言葉の本質、善のイデア、その言葉の本質、イデアを探究することなのです。〜とは何か?を探究することこそ哲学と言うのです。

そしてイデアの中のイデアこそ善のイデアである。その善のイデア、絶対善を探究することこそ哲学の王道であしょう。
善のイデア、絶対善については私が定義しましたのでよかったらブログを読んでください。
Posted by shinwood at 2021年12月14日 06:53

どうして史上最強の哲学者で石田梅岩が出てこないんですか???
Posted by セッキー at 2022年04月26日 09:03

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