2019年05月31日

身体逆転のパラドックス

たとえば、こんな生物がいたとする。

逆転.png

(1)感覚器官
 有害な物質があることを感知して電気を流す。

(2)脳
 外部からの電気信号を元に判断し、駆動系を動かすボタンを押す。

(3)駆動系(足)
 ボタンが押されると、後ろに進む足。

さて、こういう構成であるため、この生物は、危険な有害物質が目の前に置かれると、大慌てで逃げ出す行動をとるわけだが……、このとき、こいつの脳(心)が「怖い」などの意識的な体験(クオリオ)を感じていたとする。

では、ここでいきなり外科手術をして、まったく真逆な新しい「感覚器官、駆動系」につけかえたとする。

(1)新感覚器官
 「有益な物質」があることを感知して電気を流す。
(3)新駆動系(足)
 ボタンが押されると、「前に」進む足。

すると、この生物は、有益な物質があると、大慌てでその物質に向かうようになるわけであるが……、ここで着目すべきところは、「脳は何も変わっていない(元のままでも機能する)」ということだ。
そう、脳を入れ替えなくても、この生物の行動は成り立つのである。

であるならば、「身体の機能を逆転させたあとの、この生物の脳」は、「怖い」という意識的体験(クオリオ)を感じているのだろうか?
それとも「嬉しい」という意識的体験(クオリオ)を感じているのだろうか?

物理的に同じ脳が、同じように動作しているのに、「意識的な体験(クオリア)が異なる」ってどういうこと???

このことからわかることは、
脳がどんな情報処理をしていようと、その処理の「意味付け」は接続されている身体の機能によって変わる
のだから、「脳単体で、クオリアが生じる」ということはありえないのではないか、ということ。

※しかしだからといって、「クオリア(心)の発生には、身体が必要なんだ」と単純に言うつもりもない。ここでは話さないが、それもいくらでも否定ができる。

僕は、この問題を「身体逆転のパラドックス」と呼ぼうと思います。

posted by 飲茶 | Comment(3) | おススメの記事
この記事へのコメント

(1)〜(3)の機能を単純に実装したロボットを開発したとしても、そのロボットに意識やクオリアが宿っていると考える人はいないでしょう。

クオリアなるものの発生を想定するのであれば、インプット(感覚)からアウトプット(運動)までの間に行われる情報処理が、上記のロボットと比較して途方もなく複雑になる(「怖い」などと感じるための処理が必要)はずであり、そこをどう考えるかが重要なポイントな気がします。

つまり、人間が(1)〜(3)のような動作を行う際にクオリアを感じているのであれば、単純な機械も(1)〜(3)の処理を行う際にクオリアを感じている、と単純に仮定してしまってよいのか、という問題です。

Posted by 笹倉 at 2019年07月04日 19:45

よくわからんな。

この例で言う、ある有害な物質をXと呼称し、同じくある有益な物質をYと呼称しよう。

外科手術「前」のその生物が、Yに対してどう挙動するのかが仮定されていないではないか。
その状態で外科手術を実行しても思考実験にはならんぞ。
Posted by TOMOYA at 2019年07月24日 18:41

私が使用しているハエにおいては、ちょっと難しい実験かと思います。
というのは、ハエ程度の生き物ですと、有害な情報から逃げる、という回路と、有益な情報に近寄るという回路はすでに独立に形成されており、この2つを入れ替えるというのは現実的ではありません。
つまり、ある程度のクオリアは生得的に備えていると思われます。
Posted by 上野 at 2019年08月06日 11:14

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