哲学サロンで読書会をやってます。以下は、そのときの資料の一部。
・ポストモダンとは → 1970年代以降の世界のこと
・哲学者コジェーヴの説
→ポストモダンの世界は、「動物化」するか「スノッブ化」するかの二択だ。
・動物と人間の違い
→動物は欲望を満たすのに他者は不要(欲求を満たして終わり)。
→人間は欲望を満たすのに他者が必要(他人に嫉妬されたい)。
・動物化とは
→人間が、上記の動物みたいになること。
・スノッブとは
→知識人気取り。ええかっこしい。斜に構えて愚痴ばかり呟くTwitter民。
ゆえに、『動物化するポストモダン』とは、
『1970年代以降の世界は、無意味に即物的に要求を満たすだけの
動物みたい人間が増えてきたよねー』みたいな内容。
・シミュラークルとは
→模造品。二次創作。をカッコよく言っただけ。
・大きな物語とは
→宗教とか、理想の政治思想とか、生きる目的とか、みんなが信じるべき物語のこと。
東西冷戦(理想の政治を求める米ソ対立)の崩壊で「大きな物語」はなくなった。
・大きな物語について大塚の説
→現実で「大きな物語」が崩壊したので、みんな、それをサブカルチャーでねつ造した。ガンダムで例えると、その世界観や設定が「大きな物語」で、アニメシリーズやガンプラが「小さな物語」。みんな「小さな物語」を消費して、背後にある「大きな物語」に触れようとする。この行動を「物語消費」と呼ぶ。
・ガンダムの時代
→ガンダムは「大きな物語」の崩壊に立ち会った世代のコンテンツ。だから、ガンダムの設定には「オールドタイプとニュータイプの対立」とか「宇宙世紀という年表」など、社会的なテーマがちゃんとあった。
・エヴァンゲリオンの台頭
→「大きな物語」がないのが当たり前の世代のコンテンツ。みんな背後にある設定なんてどうでもよくて、ただ綾波萌え。EVAっぽい、思わせぶりな設定でノれればOK。原作者すらパロディやりまくり。複雑で雑多な設定はあるけど、実は特に意味がない(ガフの部屋って何だよ!)。こうした、一貫したテーマやストーリー性のない雑多な世界設定の集まりのような作品(エヴァンゲリオン)を、東浩紀は「大きな非物語」と読んだ。
・デジキャラット(萌えアニメ)の台頭
→萌える記号の組合せで作られる作品。猫耳+メイド+ツンデレ。もはや「大きな物語」は存在しない。
・東浩紀の説
→データベースに入ってる設定や萌え要素を自由に取り出し、模造品(組合せのキャラ)を創作してるのだから、今の時代は「物語消費」ではなく、「データベース消費」と呼ぶべきだ。
※ここで言う、データベースは「過去のアニメの資産(歴史)」だと単純に考えるといいかも。ようするに、「過去に売れた作品を適当に組み合わせた、気持ちよくなれるだけのテーマ性のない作品」を次々と生み出しては消費する……そういうオタクどもがたくさん現れたぞ、というお話。
・したがって、オタクの行動原理は、薬物中毒みたいなもの。自分が気持ちよくなる記号の組合せを取り出して、個人的な欲求を得るだけ。ゆえに、現代のオタクは動物化したと言える。
結論。現代社会(ポストモダン)は
「データベースとシミュラークル」を消費する時代であり、
(つまり、「過去の資産の組み合わせで作られた、2次創作みたいな萌えアニメ」
を消費する時代であり、)
人間は、データベースの記号を漁るだけの動物になってしまった時代である。
時に、大きな非物語について語り合う人(EVAについて語り合う人)もいるが、
イデオロギー(思想)を共有して会話してるわけではなく
、いつでもやめられるので、それは「ただの、形式的で擬似的な人間関係」でしかない。
→ゆえに、ポストモダン(1970年)以降、世界はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っているだけである。
2019年04月09日
東浩紀『動物化するポストモダン』の要約
posted by 飲茶
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