2011年04月06日

クオリアと小学生のマスゲームの思考実験


(クオリアと小学生のマスゲームの思考実験)

ちょっと考えたことを備忘録としてメモ。

腕を1万本持っている小学生が、校庭に200億人くらい集まって、
「自分の肩が叩かれたら、ある条件にしたがって、隣のヤツの肩を叩く」
というマスゲームをやっていたとする。

このとき、ある瞬間の小学生の肩たたきのパターンが、たまたま

「Aさんが赤いものを見ているときの脳細胞の発火パターン」

と一致していた場合、
単純な物理主義に従えば、校庭には、
「赤いものをみているなんらかの意識(クオリア、現象学における現象)」
が生じていることになる。

このパターンを形成する小学生のグループをXとしよう。

-------------------------------------------
その同時刻、校庭から別のグループYを切り出すと、今度は、

「Bさんが青いものを見ているときの脳細胞の発火パターン」

と一致していたとする。
単純な物理主義に従えば、校庭には、
「青いをみているなんらかの意識(クオリア、現象学における現象)」
が生じていることになる。

-------------------------------------------

ここで、グループXとグループYの要素である小学生が、
半分くらい重なっているとする。
とすると、

・上からみると、ひとつのマスゲームなのに、2つの意識が生み出されてる
・ひとりの小学生が2つの意識を生み出している

ということになる。

この時点でなんかおかしな気もするが、とにかく強気に、
「別にいいじゃないか、物理条件にしたがって
 それぞれ、そういう2つの意識が生み出されたんだよ」と
してみよう。

でも、そうすると、次のようなヘンテコなことが起きそうである。

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グループXは100億人の小学生で形成されているとする。

でも、グループXの何人かを、グループに入ってない別の小学生と入れ替えて、
別のグループX´(ダッシュ)を作ることができる。


このグループX´は、グループXとはちょっとだけ違うが似たようなものである。
とすると、
グループXで生み出される意識とはちょっとだけ違う、似たような別の意識が
校庭に存在しなくてはならない。
(グループXとグループYの意識が同時に存在することを許すのだから)

ここで、小学生の入れ替えの組み合わせは、ほぼ無限にあるわけだから、
「無限の意識が校庭に存在する」ことになる……

がそれでいいのだろうか?
posted by 飲茶 | Comment(1) | TrackBack(0) | アイデア帳
この記事へのコメント

僕にはこの疑問が
クオリアがなんなのか
この世界がなんなのか
という疑問に繋がる様に思えてなりません
とてもおもしろかったです
ですが寝れそうにありません笑
Posted by さくら at 2014年02月14日 02:02

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