ここでいう、「ひとりの限界」とは、
ようするに、以下のような質問に答えていき、
「どこまでが、(自分が)ひとりで行けるラインなのか?」
を探るというお話です。
たとえば、
ひとりで、カラオケに行けますか?
ひとりで、映画館に入れますか?
ひとりで、焼肉できますか?
ひとりで、遊園地に行けますか?
ひとりで、観覧車に乗れますか?
ひとりで、居酒屋に入れますか?
ひとりで、ファミレスに入れますか?
ひとりで、旅行に行けますか?
きっかけは、先日、友達と話していたときのことでした。
飲茶「最近、ひとりでファミレスに行ってさ〜……」
友達「え〜、オレ、ファミレスにひとりで入れないよ」
飲茶「え、なんでー?全然ひとりで入れるでしょ」
と意見の食い違いがあったのです。
それで、色々聞いてみたら、
「ひとりで、居酒屋に入れない」
「ひとりで、映画館に入れない」
などなど、僕にとっては、
「わざわざ、ひとりで行こうとは思わないけど、
別に行こうと思えば、いけるよー」
というところで、「いやいやいや、絶対ありえない!」
と頑なに拒絶的反応を示すのです。
そこで、周りの友達にも、このことを聞いてみたところ、
人それぞれのさまざまな「ひとりの限界ライン」があって、
なかなか面白かったです。
たとえば、「ひとりカラオケ」「ひとり映画館」のラインを
越えられるツワモノでも、なぜか「ひとり焼肉」だけは無理とか。
(その理由は、どうも「ひとりの姿を他人から見られるかどうか」
が境目になってるようでした)
色々分類わけすると面白いですよ。
・ポリシーとして、ひとりで行くのが許せないタイプ
・「そこはひとりで行くものではない」
という理屈を超えた思い込みがあるタイプ
・店員に怪訝な顔をされるのが怖いタイプ
・周りが複数人でにぎやかなのに、
自分だけひとりなのが駄目なタイプ
・複数人で入るのが前提の「密閉された空間」に
ひとりで入るのが駄目なタイプ
・他の客から見られなければ、いいと思うタイプ
・いっさい、気にしないタイプ
ちなみに、飲茶は、
「ひとりカラオケ」「ひとり焼肉」「ひとり映画館」
もすべて経験ありで、問題ありません。
そんな自分の限界はどこだろうと、探ったところ、
実は「ひとりボーリング」というところに、
「うわ、それはちょっと無理」という限界ラインがありました。
いや、ちゃんとボーリング専用のグローブをつけたり、
それっぽい服装をしていれば、きっと出来ると思うのですが、
たとえば、ジーパン的な私服でふらっと来て、
ひとりでボーリングをやる、というシチュエーションだと、
「いやいやいや、絶対ありえない!」
という拒絶の気持ちが浮かんできます。
どうも、グローブとかをつけていると、
「ああ、練習に来たのだな」
と周りがみてくれるだろう、だから大丈夫という
考えがあるようです。(^^;
こんなふうに、「ひとりの限界」のラインを調べて、
「なぜこれは良くて、これは駄目なの?」を探っていくと、
「うわ、自分ってこういうこと気にしていたのか」
とわかって、なかなか面白いです。(^^)
――――――――――――――――――――――――
靴を履かずに庭に下りる……
なんだかよ………縛られてるよな
これっぽっちのことでも……
この程度のことでも……縛られている
しかしそもそも
なんでそういう事をしちゃいけないかというと
靴下が汚れないようにとか……
このまま上がれば廊下が汚れるとか……
その程度のことだ
でも……そんなものこうして
払えばいいだけのことだろ……!
だから……もし気分が動けば……
どんどん歩けばいい……!
何の不都合もあるもんか…!
しかし……どうもそれが出来ない……
こんなちっぽけなことも……
晴れ晴れと出来ない……!
不自由だ……訳も分からず……!
あいつ……赤木は……歩くだろう……!
何も気にかけず……スッ…と庭に下りるだろう……!
「天」 福本伸行
#いつか何も気にかけず……スッ…とひとりでボーリングに行けるように
僕もがんばりたいと思います。
これは無理、高くないですか?
これ以外は全く問題なし。
でも、場所によるかもしれないです。
カップルばっかりとかだったらホントにいたたまれないです。別に、厚顔無恥ではないので・・。
ところで、ファミレスはびっくりドンキーも入るのですか?しょっちゅう一人で行きますが・・
ひとりで、旅行とか、遊園地とか行けないって、ホントに現在社会の弊害ですね。
”孤独な群衆”って奴。
自分が友達少ないだけかも知れませんがww
そういえば、どこか忘れましたが、一人で行ったら、笑われたような・・・まぁいいや。
悪いことは何もしていないのだから、笑う方が狭い世界で生きていなさいってことです。
自分で自分を縛ってどうすんだか・・・
ただでさえ、ぐるぐる巻きに縛られているのに・・
(飲茶)たしかに焼肉は高くて厳しいですよね。って、それは「ひとり」かどうかの問題ではないかと(笑)
前に、牛角の食べ放題を「ひとり」で挑戦してきました!>_<
炭火で、1人分の肉を一枚一枚、のんびり焼くのって、すごい贅沢な気分でしたー。
(炭火様にとても申し訳がなかったです)
びっくりドンキーは、学生時代とか、お金がなかったとき、かなりお世話になりました。安いのに、あんなにおいしくて、本当にびっくりですよね。チーズバーグとか、最高です。
うーん、びっくりドンキーは、ここでいう「ファミレス」には入らないような気がします。というのは、席が「個室」っぽい感じになってるので。ここでいう「ファミレス」は、立ち上がると、店全体が見渡たせて、わいわいがやがや、みたいな感じのところでしょうね。
歌の練習ですと・・・?
ムリムリムリムリムリムリムリ
(;´ー`)y-~~
※「天」一巻だけ持ってるw
(飲茶)ええ、まさに「それ」です!
「まぁ、その気になればできるけど、そんなのわざわざやらないでしょw」ではなく、
その
「アリエナイ」
「ムリムリムリムリムリムリムリ」
というのが、「限界点」なのです!
好んでやる気にはなれませんが、やる気になればどれもできちゃいますね。
ただ、そうなるシュチエーションがイメージできないのはたしかですが、たとえば、観覧車あたりも、乗りたいという気持ちや一人で乗らなくちゃいけない局面があれば、すんなり乗れると思います。
多分、小説を書くとき、そんなシーンを書かざるを得なくなったらやっちゃいますね。
(飲茶)おお、ということは、尾形さんには、ひとりの限界はないってことだと思います。
まだカラオケは歌の練習って事でどうにかなるけど、プールは…
しかも泳ぐ用のプールじゃなくて
遊ぶ用のプール…イヤアアアァァァ
(飲茶)たしかにひとりプールはキツイですねえ。(^^;
特に、流れるプールだと辛いです。よくカップルが、浮き輪にのって、
楽しそうに流れてますよね……。
いやいやいや!!!そこは、あえて、ひとり流れるプールで、
カップルの流れに逆らって逆走ですよ!!!!!!
(飲茶)ええ、常識という名の限界を超えて、ピリオドの向こうへ……
「一人でやってもつまらない、やる理由がない」
という人と、
「その行動を他人に見られたくない」
という人に分類できるんじゃないですかね。
ただ後者のほうが圧倒的多数だと思いますが。
自分はどれもやらない、というか出来ません。
見られたくないですもの・・・。
(飲茶)なるほどー。おそらく、前者だと「うわああああ、むりー!」ってなりませんよね。
あ、でも、「他人に見られない条件があっても、絶対に無理」「他人の目以前に、そんなことを独りでやってる自分が許せない」っていうタイプの人もいるかも。(いるかな?)
ttp://news23vip.blog109.fc2.com/blog-entry-1387.html
(飲茶)あはは、同じようなのあるんですねー。
1人影武者
これ最高に笑いました。なんか色々想像できそうな言葉ですよね。(笑)
私は逆にボーリングは出来るけど、カラオケと遊園地よ観覧車は無理。
(飲茶)おおおおおおお!ハイテクさんの奥様とは気が合いそうです!!
だって、ストライクとって、後ろを振り返っても、誰もハイタッチする人いないんですよ!(;△;)
カラオケはやったことないです。流石にボーリングは無理です。
独りTDLは…したあとものすごーく後悔しそうです。
逆にどこまで他人と一緒にいられるか、独り以外の限界はどこでしょうか…?
流石にトイレに二人一緒だけは絶対に嫌ですね。
(飲茶)おお、ひとりボーリング限界点がここにも(笑)
実は、「ふたりの限界」も考えていたところでした。(企画で募集してみようかな)
自分が考えたのは、「ふたり個室ビデオ」です。壁の向こうに人がいるから、雑談やバカ話もできないので、だまって、ふたりでビデオをみるしかない……しかも、イヤホンを二人でわけあうという構図です(笑)
時間がないとき靴下で庭どころか裸足で出かけたことすらありますよ。
大多数がこうだと思っている固定観点と言うか常識ってのはわかっているつもりですが、どうにもそれを気にかけることができないと言うか、知っているからその通りにしないといけないという気になれないんですよ。
それに少数派の尊重にこそ民主主義の本質があると思いませんか?
とはいえ、社会活動を円滑にするために色々と自重はしていますが、一人でする事くらい自由にさせてほしいです。
(飲茶)きっとそういう人が、新しいものを作ってきたと思いますので、その感性を大事にして欲しいです。(^^)
「文化」という物の中で作られた一種の
呪術のような物が効いているからですよ。
『外では靴を履く』
という呪いがかかっていない野生動物や
一部の他文化では外でも裸足が当たり前ですから。
(飲茶)ええ、「文化」ってすごい固定観念ですよね。
外人さんが、家の中で靴を脱がないって話を聞いたとき、
「ありえええねえええ、家汚れるだろおおお」って思いました。(笑)
でも、
「そんなものは、ほらこうして家に入る前に、マットで泥を落とせば……なんの不都合もない!」
なんですよね。逆に、向こうは、家の中で靴を脱ぐって、
ありえねえとか思うのかなあ。
心の理論だよなあ
この他人って「自分の中の他人視点で自分を見る目」でいいけど。
「それはちょっと無理」っていうんは、ひとりでボーリングしてる自分を想像してなわけじゃん。
まさに自己意識だよなあ。
わたしも一人焼肉、一人カラオケはいける。
安楽亭のランチだったけど。
一人ボーリングは……
そういうシチュが浮かばねえ……
芝居も同様。
ひとりの限界点って、ようは、自分の中の他人視点が、どういうシチュを「惨め」だと価値づけているか、を表しているのかもしれません。
逆に言うと、そういうシチュにいる他人を無自覚に「惨め」だと「可哀想」だと思って「しまう」のかも。
だから、よく脂さんのブログで出てくる、「休み時間に一人でトイレに行く?うわあああ、ありえない」な人たちは、「休み時間に一人でトイレに行く人」を内心見下して、哀れむのでしょうね。
旅行と映画は一人で行ってなんぼだと思う
自分がその行動をどう捉えているかで変わるのかな
人付き合いとしてそれをやる、交流の場としてそれを認識するのなら、一人ではできない、もしくはする意味がないと感じる
「ムリムリムリムリ」
この拒絶の仕方も如実にこの現象の内容を表している
その荒涼感は飲茶さんの「「惨め」だと「可哀想」だと」の思われることそのものですね
反対に一人でできることには、その行動を行う人自身がその行動に価値を見出していると評価できる
自分がそれをすることに自分が許可を与えるというようなイメージですね
振り返ると…自分はなんと自分のやりたくないことを連ねてしているのか、という気にならなくもない
接待とか付き合いとか、大変です
書き込みの時期微妙ですいません;;
(飲茶)今の時代、「接待」という言葉をきくと「うわあ、大変だね、お疲れ様(普通にやりたくない仕事)」ってイメージありますよね。(飲んで、楽しくお話しするだけで、仕事になるなんて、ラッキーというのがない)これも面白い現象ですよね。
そんな僕の心の中は、
「どうせ他人でもう会わないし、店員が何も言えないのは知ってる。裏で陰口叩かれようが関係ない」
みたいな感じです。
でも、身内がいると・・・・・・・・・・・・・・・
(飲茶)あはは、そこが限界ポイントなんですね。わかりますw