2012年12月05日

飲茶が考える理想の議論のやり方(1)

飲茶は議論掲示板を運営していました。そこでの経験を踏まえて「理想の議論とは何か」を提言します。

2 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-14 09:58:18
「議論とは、『意見を持った複数の人たち』が論理だけを頼りに『対等』に話し合うことである」

これは一見、まともな議論の定義に思えるが、私は『違う』と思う。

こういう発想で行われる議論は大抵うまくいかない。

私は、むしろ議論において、論者同士は『対等であるべきではない』と思っている。

3 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-15 09:30:48
議論における論者同士の理想の関係は『王と騎士』の関係であると私は思う。

・王は騎士の『生殺与奪権』を持っており、気に入らないものを文字通り『消す』ことができる。それゆえ騎士は王に絶対逆らうことができない。

・王は『神聖』な存在である。したがって、神である王の言葉に対して、なんぴとも『無作法に異を唱えてはならない』。

こういった関係で議論を行う方が、『対等』の関係で議論を行うよりもマシであり、効率的であると私は考えている。

4 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-15 10:32:06
「『対等』な関係では議論は成立しない」のは何故か。

その答えは単純に、私を含む君たちがみな『どうしようもなく未熟』だからだ。

自分の意図しない方向に議論が傾けばイライラし、『自分とは違う論理体系を持つ人』に出会えば腹立たしさを感じ、顔を真っ赤にして罵りたくなる。
そして、ときには、丁寧な言葉で相手の無理解に対して『嫌味』をネチネチと言ったり、まるで後輩にでも語りかけるような『礼を尽くさないフランクな表現』で茶化したり、相手の発言の不備を『見ている方が不愉快になるほど断定的な言い方』で責めたてたりする。
(それ自体は悪くない。腹が立つものは腹が立つ)

だから、そろそろ気づいた方がいい。
王と騎士』といった偏った関係性でもないかぎり、『私たちはまともに議論なんてできない』ということに。

私は、ネット上の議論を見続けた結果、ネット上の『対等な議論』というものに『絶望』してしまった。

その『絶望』から次のような『新しい議論』のあり方を考えてみる。

5 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-16 11:14:43
王と騎士による議論の概要

まず、『志(議題)』を持つ人が『』であることを宣言し、何もない荒野に『王国(スレッド)』を建てる。

』の『志(議題)』はさまざま。「エネルギー問題について解決策を模索したい」など幅広いものもありうるが、とりあえずは具体例として、次のような『』だったとしよう。

アイデアXによって、原発を根絶できると思います。これについて広く意見を求めます

この『志(議題)』に惹かれた人たちが『騎士』として『王国(スレッド)』にやってくる。『騎士』は『』に意見を献上し、『』はその意見をまとめ、『議事録wiki』に反映する。

概要は以上である。

6 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-16 12:39:16
騎士から反論を受けたときに王はどうするべきか

さて、王国(スレッド)にやってきた『騎士』がまず最初になすべきことは『』の議題に対する『反論』の提示である。

ここで、反論はおおよそ次の3パターンが考えられるだろう。(無意味、不毛な反論は除く)

(1)核心的な反論
(2)前提までさかのぼる反論
(3)枝葉および横やりぎみな反論

以下、それぞれについて、『』がなすべき対応を記載する。

(1)核心的な反論

スレ主(王)の主張について、核心をついた反論があったとき、<王はどうするべきだろうか?

その前に、「王(スレ主)」と「反論を述べる騎士(スレッド参加者)」の『立場の違い』をはっきりとさせておこう。

すべての騎士は、以下の原理(騎士道)に従って議論に参加するものとする。

なお、この原理は、『王と騎士』による議論方式の核心である。よく心に刻みつけて欲しい。

騎士(参加者)は、王(スレ主)と対立してはならない!

騎士(参加者)は、王(スレ主)の主張を破壊しようとしてはならない!

25 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-04 12:34:02
騎士(議論参加者)は、王(スレ主)と対立してはならない

これはいったいどういうことだろうか?
そもそも、主張を述べた相手(スレ主)と対立しないで、『反論』なんてできるのだろうか?

私は、『できる』と考える。

ちょっと、議論を『将棋』にたとえてみよう。

王が、こんなことを言ったとする。

「私が考えた、この布陣(コマの配置)はどうだろう。鉄壁だろう?」

この王の主張に対して、周囲の人々がこんなふうに反論したとしよう。

反論者A「いやいや、ここに穴があります。こう攻めたら、ほら……終わりです」

反論者B「全然鉄壁じゃありません。こっちにも穴があります。こう攻めたら……、あなたはどうするんですか?」

私は、こういう反論は『ダメ』だと思う。

言い方も丁寧で、内容が妥当であったとしても……

私は、こういうニュアンスの反論は全部ダメだと思う』。

26 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-05 10:16:58
私が考える反論の『作法』はこうである。

まず、騎士(反論者)は、決して王の反対側の席には座らない。

騎士(反論者)は、あくまでも王(主張者)の『味方』であり、『身内』であり、王と『同じ側の席』に座っていなければならない。

ゆえに、反論は、次のような形式となる。

騎士A「王様、仮に敵が攻め込んでくるとしたら……、おそらく、ここに弱点があるとみて、こう攻めてくると思います」

騎士B「もしくは、あっちの方から攻めてくるという手も考えられます」

すなわち。
「反論者自身が、対立者として王の主張の問題点を『指摘』する」
のではなく、あくまでも、王の身内の立場として
「仮想的な敵としての対立者を想定し、その対立者がどんな反論を述べてくる可能性があるかを『提示』する」
のである。

私は、これが『正しい反論の作法』だと考えている。

27 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-05 22:35:51
さて、騎士から『反論の可能性』を提示された王は、
その反論の反論、すなわち『擁護』の理屈を考えなくてはならないが、反論者である騎士は『身内』なのだから、なにも王だけが『擁護』を考える必要はないだろう。

というよりも、むしろ、

反論』を提示した人も含めて全員で『反論の反論を一緒に考える

のが正しい王国(スレッド)の姿である。

これを将棋にたとえると、こういう形になる。

王「というわけで、敵は、A,Bのいずれかから攻めてくることが特定できました。では、いったんAに話を絞りましょう。Aはこちらにとって厳しい手ですが、どういう対応策が考えられるでしょう」

騎士A「うーん、私なら、こう返しますね」

騎士B「もしくは、こういう返し方もあるかと」

王「では、それぞれについて、ひとつひとつ吟味していきましょう。Aに対して、Xという返しをしました。さて、このXという返しに対して、どういう問題が考えられるでしょうか?」

28 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-06 10:06:06
・『反論者自身が、対立者になってはならない

・『反論者は、あくまでも身内の立場として、反論の可能性を提示する

・『反論を述べた人も含めて、みんなで反論の反論を考える

さて、このような原理で『王と騎士』が議論(反論と擁護)を重ねていくと、以下のようなイメージで、『議事録Wiki』は枝を伸ばしていくことになる。

(例1)

主張「アイデア]を適用すれば原発は根絶できる!」
 ⇒反論A
  ⇒擁護A−1
   ⇒反論A−1−1
   ⇒反論A−1−2
 ⇒反論B
  ⇒擁護B−1
   ⇒反論B−1−1
    ⇒擁護B−1−1−1
     ⇒……

王(スレ主)は、『議事録Wiki』の管理者である。

王は、議事録Wikiにおけるこの「木の枝」、すなわち『議論の大樹(ユグドラシル)』を大事に育て、元気にし、美しくのばしていくことについて責任を負わなくてはならない。

29 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-06 10:06:53
以上までが、『(1)核心的な反論』についてである。

スレ主(王)の主張について、核心をついた反論があったとき、王はどうするべきか?

結論は以下である。

・議事録Wikiにその反論を掲示し、その反論の反論をみんなで『一緒』に考える。

30 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-07 00:01:45
(補足)
反論者は、あくまでも身内の立場として、反論の可能性を提示する

ところで、なぜ反論者は『わざわざ身内の立場』として、反論を述べなくてはならないのか?

その理由は単純である。我々が『未熟』だからである。我々が『反論されると感情をかき乱される心の弱い動物』だからである。

「そんなことはない。まともな反論であれば、ぜんぜん冷静でいられる。まともな反論を受けて感情が乱されるとしたらそれは乱した方が悪い」

という意見もあるだろう。

しかし、あえて言おう。

無理!

31 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-07 07:59:23
「反論されたときは、自分では気づかなかった問題点を教えてもらえたと思って、相手に感謝しましょう(^△^)」

なんて話を、議論の作法としてよく聞くが、でもやっぱり「無理」だと思う。

僕たちは、ちゃんとした反論だろうが、なんだろうが、公共の掲示板で面と向かって反論されると、『ドキっ』としたり、『グサっ』ときたり、
カッチーン』ときてしまう心の弱さを持っている。
そこは、もう正直に認めてしまっていいと思う。

32 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-07 22:47:58
どうしても、僕たちは、
勝ち/負け』『論破する/論破される』『優/劣
といった『二項対立』のパラダイムで『世界』をみてしまう。

そして、そういう『パラダイム(ものの見方)』を
持っているからこそ、議論で反論を受けると感情がかき乱されてしまう。

議論が苦手』という人は世の中に多いと思うが、
その理由の根本は、結局のところ、この『議論=勝ち負け』という「パラダイム(思い込み)」
にあると思う。

ようは、
「なんか議論するとさ、反論したり、反論されたりで、なんかギスギスした空気になるじゃない。あの雰囲気って嫌なんだよね」
という話だ。


33 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-08 00:37:00
私は、この

「議論=勝ち負け(論者同士の対立)」というパラダイム

(議論とは勝ち負けではないと承知しつつも、
どうしてもそのように捉えてしまう僕たちのものの見方)

を変えたいと願っている。

しかし、とはいえ、
「対立はいけませんよ」とか
「相手の感情に配慮して反論を述べましょう」
といった『精神論』『お題目』を叫んだところで、
それが役に立つとも思えない。

だから、議論の構造自体を変更するべきだと思う。それは次のようにだ。

「議論とは、仮想敵(モンスタークレーマー)を想定し、その共通の敵に向かって、『全員』が一丸となって論を補強していくゲームである」

もしくは、

「ある主張から出発したとき、どこまで反論と擁護の枝をのばすことができるのか、その限界に『みんな』で挑戦するゲームである」

(続く:理想の議論のやり方(2)


2012年12月10日

飲茶が考える理想の議論のやり方(2)

前回記事:理想の議論のやり方(1)

25 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-04 12:34:02
(2)前提までさかのぼる反論

たとえば、こんな反論があったとしよう。

「アイデアXを実現するのには結構な費用がかかりそうですね。
そもそも、『なぜ原発を根絶しないといけないのですか?』」

この反論を述べた背景として、反論者は次のような想いを持っていた。

「原発は一般に思われるより安全である。知識がない人にはわからないかもしれないが」

こういう想いを持っていたため、彼は『根絶』という言葉にカチンときた。

「きっとこいつは、世間の浅はかな連中と同様に、短絡的に原発は悪だと決めつけているのだろう。
まず、その思い込みを正さないかぎり、原発について議論はできないぞ」

8 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-18 01:01:28
さぁ、面倒なことになった。

もともとの議題は、
アイデアXによって原発を無くすことができるかどうか
である。

だから当然、議題を投げかけたスレ主が議論したい内容は
アイデアXの是非
についてである。

しかし、返ってきたレスは、アイデアXについてはおざなりなもので、
予想外の、なんだか面倒そうな質問』まで含まれていた。

スレ主は、さっさとアイデアXについて議論したい。

そこで相手の質問には適当に返答して、話題をアイデアXに戻そうとした。

「原発が危険だからです。費用がかかると言いますが、
どんな対策でも費用がかかるのは当然ではないですか。
このアイデアXにかかる費用と、原発の安全対策にかかる費用を比べると……」

9 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-18 16:58:59
しかし、スレ主の思惑通りに事は進まなかった。

「原発は危険だと言いますが、ここで言う危険とはどのレベルの危険を指していますか?
まずは危険の定義を明確にしてください」

返ってきたレスを読んでスレ主は『うっわ、うざっ』と思った。

スレ主が、そう思うのも無理はない。
彼は、アイデアXという、いわば『新しい料理』をみんなに品評してもらうためにスレッドを立てたのだ。
それなのに……、目の前の相手は、料理ではなく『料理が乗っている皿』について議論を始めてしまった!

この不本意な展開にスレ主は苛立ちを感じはじめる。
こんな会話はさっさと終わらせたい。
こうして、スレ主は、ついつい口調がきつくなり、『常識では』『普通に考えて』など
短絡で説得力のない理屈で「原発は危険だから無くすべき」と強引に結論付けて、
話を元に戻そうとする。

10 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-19 23:30:40
このスレ主の不用意なレスで、もうこのスレッドは終了である。

「やはり彼は、
原発に対して稚拙な理解しか持っていないのに、根絶を叫ぶ浅はかな輩
であった!」

そう確信を深めた反論者はもう容赦しない。
完全に口調を『論破モード』に切り替える。

「危険だと思う根拠はなんですか? まずそれを提示してください。
 提示していただけなければ、その発言は論として無効です。
 また、原発をやめて化石燃料による発電方法に戻した場合、
 大気がより汚染されることについてはどう考えていますか?」

スレ主が「認識を改めます」と『敗北』を認めるまで、理路整然と追い詰めていく。

一方、「アイデアXについて和気あいあいと楽しい議論ができると思っていたスレ主」は、
この展開に『モチベーション』を維持できない。
もはやスレ主は、「自分が立てたスレッドだから」という義務感だけで返答する。
当然、スレ主が行うレスの質は低下し、
「変なやつに噛みつかれた」という想いもあいまって言葉遣いもだんだんと荒くなっていく。

こうなったら反論者はもう止まらない。
「相手が不誠実で、稚拙で、無作法なやつなら、
こっちも相応の対応をしてしかるべきだ!」

ヒーーートアップ

第三者が「いい加減にしなさい」と介入するまで
見るに耐えない不毛なやり取りが続き、それだけでスレッドが埋め尽くされる。

こんな不愉快なスレッド、誰が書き込みたいと思うだろうか。
こうして何の益もないまま、スレッドがまたひとつ終わってしまった。

11 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-20 11:52:23
では、どうすれば良かったのだろうか。

王と騎士』による議論方式に従うなら、スレ主は以下のようにするべきであった。

@最初の反論がでた時点で、
前提:アイデアXを適用したときに原発が廃止できるかどうか、のみを問うものとする
前提:原発自体の是非は問わない
といった『議論の前提』をかかげ、その旨を『議事録Wikiで書き込んで、明言する』。

Aそれでも、反論者がしつこく『スレ主(王)が決めた前提(法)』に疑義を唱えるならば、
スレ主(王)は、システムから与えられた権限を利用し、
反論者を『出入り禁止(国外追放)』にする。
(以後、反論者はスレッドに書き込みできなくなる)

以上である。これで問題は解決する。

12 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-20 20:09:24
スレ主(王)が決めた前提(法)に逆らうものは、出入り禁止(国外追放)とする

このあまりに独裁的で過激な議論のやり方については、理解すべきポイントが3つある。

1)前提を疑うこと自体は不当ではない

まず、「前提を疑うこと」で、有益に議論が発展することは十分にありうる。

たとえば、先の具体例でいえば、前提を問い直すことで、
「原発を根絶する必要はない」もしくは
「根絶ではなく、被害が許容できる範囲で運用できれば良い」
といったふうにスレ主の考え方が変わるかもしれない。

そうなれば、アイデアXに関する議題自体が消滅するわけだが、
これは有る意味では、
スレ主の議題に対して、より本質的な意味で答えを与えた
とも言えるだろう。

繰り返すが、このように『前提を疑うこと』で、
有益に議論が発展すること』は十分にありうる。

したがって、この独裁的な議論のやり方は、けっして
「単純に、前提を疑うことが無益で無価値だから、やってはいけない」
ということを意図してはいない。

13 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-21 21:59:36
2)前提はいくらでも疑いが可能であり、疑いの止めどころは存在しない

むしろ、問題はこちらの方である。

議論というものは、必ずなんらかの『前提』がなければ成り立たないが、
あらゆる前提について、常に『終わりなき疑い』が可能である。

たとえば、
ある前提(原発を根絶する)』を否定して、
別の前提(危険がない状態になればあってもかまわない)』を持ち出すことも可能だし、
前提の前提の前提の……(ようは、なぜ?なぜ?なぜ?)といった形で、
前提の基盤を疑い続けることも可能である。

つまり、『前提を疑い出したら、きりがない』のだ。

14 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-22 19:46:55
だから、どこかで「ここから先は疑いません」という『疑わない地点』を
誰かが『決断』しなくてはならない。

しかし、やっかいなことに、この『決断』は、論理的で合理的なものにはなりえない。

どうしても『単なる好き嫌い、個人的な趣向』になってしまう。

スレ主としては、「前提に対する疑義が発生したら、なんとかして、
論理的に、合理的に、自分が設定した前提が正当であることを主張したくなる」
わけだが、そんなことはそもそも『不可能』である。
(なぜ不可能かというと、それはまさに言葉のとおり『前提だから』だ)

議論の前提というものは、
「一方が独裁的に決定し、他方がそれに疑義を停止して同意する」という形式でしか、

本来、成り立たないのである。
(もちろん、話し合いを重ねて、「全員が合意できる議論の前提」を
見つけることはできるかもしれない。が、それは恐ろしく非効率であり、
たいていは、途中で『モチベーション』が尽きる)

15 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-23 20:04:14
少し脱線するが、
すべての論者は、議論を行う前に、数学(論理学)における
公理(証明不可能な暗黙の了解)』という概念を理解しておくべきである。

たとえば、ある数式があったとする。

普通は、
「この数式について、数学者同士が議論すれば、同じ結論がでるに違いない」
と思うかもしれないが、現実にはそうではない。

たとえば、「ゼロで割ったときはどういう扱いにするか?」など、
どのような種類の『公理(前提となるルール)』を設定するかによって、
まったく違った結論が導かれる。

だったら、この数式について
「公理Aを使うのが正しいのか?」
「公理Bを使うのが正しいのか?」
を問いかけたいところだが……、
残念ながら、

「そんな問いかけは不可能である。
 どのような公理であろうと、つまるところ、それは
 『正しいと証明はできないけど、とりあえずこうしておこう
 という、どっかの誰かが暫定的に設定したただの決め事にすぎない。
 だから、『どの公理(決め事)を使うのが正しいか』なんて
 問いかけたって決着がつくわけがない」

と、数学史上ではすでに決着がついてしまっている。

だからこそ、数学者たちは、
「公理Aを設定したら、こういう結果になります」
「公理Bを設定したら、こういう結果になります」
と語るだけにとどめ、「どちらの公理がより正しいか」なんてことで、
論争をはじめたりはしない。

しいて言うとしたら、
「まったく個人的な主観だけど、公理Bを設定した方が『面白い』結果になるよね。
 なので、僕は、こっちを使います」
ぐらいである。

16 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-26 12:17:02
この「数学者たちが『公理』について得た知見や教訓」は、
議論における前提やルールの設定においても、そのまま適用できる。

・どんな数学(議論)も、必ずなんらかの公理(前提)を基盤として持っている。

・公理(議論の前提)とは、あくまで『誰かが暫定的に設定した決め事』にすぎない。

・公理(前提)を疑うことは可能だが、そのためには
 『公理(前提)よりも絶対的に無根拠に正しいとするスーパー公理(前提の前提)』を
 持ち出さなくてはならない。そして『スーパー公理(前提の前提)』も
 疑うことが可能だから、原理的にいって、無限に疑うことが可能である(キリがない)。

・したがって、「これが正しい」「これを使うべきだ」という
 「唯一普遍の正当な公理(議論の前提)」に我々は出会うことはできない。
 ゆえに、それを巡って論争するのは不毛である。

・だから、誰かが「えいや!」と最初に思い切って、独裁的に
 『公理(議論の前提条件、ルール)』を決めなくてはならない。

・数学(議論)とは、つまるところ、
 ある『公理(暫定的に設定した決め事)』から出発した場合に何が導かれるか?
 である。

・「公理(暫定的に設定した決め事)」に複数の候補がある場合、
 どれを選ぶかという基準があるとすれば、
 それは、『導かれた結果が面白いもの、興味深いものになったかどうか』である。
 (したがって、基本的には、まず導いてみないとわからない!)

・「相手と異なる公理を持つもの」「相手の公理に同意できない人」は、
 同じ土俵(スレッド)で話し合うべきではない。
(違うルールブックを持っている二人が、将棋を指している姿を思い浮かべてほしい。
 無意味だし、十中八九、喧嘩になる)

17 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-27 10:19:57
3)前提への疑義は慎重に、かつ建設的でなければならない

とはいえ、
スレ主(王)に対して、いっさい微塵たりとも前提への疑義を述べてはいけない
というのもやりすぎである。

というのも、1)で述べたように、
「前提への疑義」が有益な方向に進む可能性はゼロではないからだ。

ただし、「あなたの前提は間違っている」「こっちの前提の方が正しい」
という論調でやってしまうと、2)で述べたとおり、
「正しい前提(存在しないもの)を巡って、いつまでも議論が続き、
 結果、本来の議論ができなくなる」
というやっかいな事態が起こってしまう。

そこで、前提へ疑義を唱える反論者(騎士)は
以下の原理(騎士道)に従って行わなくてはならない。

・スレ主(王)が設定した『議論の前提』について『疑義』がある場合は
「それは間違っている」という論調で、変更を訴えてはいけない。
あくまでも、
「こういうふうに前提を変更すれば、
より面白い議論になります、より建設的な議論になりますよ」
という『提案』の形で行う。

たとえば、
「アイデアXを実現するためのコストはいっさい問わない」という前提を
取り外した方が、議論が面白くなりそうな場合である。
(その逆に、前提を追加して議論の幅を狭めた方が、面白くなりそうな場合もある)

そういう「建設的な姿勢を見せた上での、疑義は行っても良い」だろう。

ただ、それはあくまでも『提案』であり、
決定権はスレ主(王)の趣向にゆだねるべき』である。
スレ主の心を動かせなかったときは、自分の表現力の無さを恥じて、
早々に引き下がるべきである。

18 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-28 20:23:00
では、ここで、反論者(騎士)が、
「どうしてもスレ主(王)の前提が気に入らなかった場合」
にはどうすれば良いのか?

それは簡単で、そのスレッド(王国)から出て行けば良い。

ただし、ここで重要なポイントは、

「スレ主(王)の前提が正しくなく、めちゃくちゃだから、出て行く」
のではなく、
スレ主(王)の前提で議論を進めても面白いことにならなそうだから、出て行く
のである。

したがって、『そこに恨みつらみを持ち込む要素は一切無い』。

このことを『論者(騎士)』は自覚しなくてはならないし、
もし不愉快に感じるなら、
それは『正当な感情ではない』と己を恥じなくてはならない。

19 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-29 18:50:50
たとえば、将棋において、ある人が
10手以内に、決着がつかない場合は、先手の勝ち
というルールを設定したとしよう。

あまりに非常識なルールに思えるが、かといって、
「このルールはおかしい!間違っている!」と
相手に詰め寄ることに正当性はない。

なぜなら、『ルールはあくまでもルール(決め事)』にすぎないからだ。

(逆の立場で、相手から『なぜ歩兵は前にしか進めないの?』と問われても、
 そうなるべき必然性をあなたは答えることはできないだろう。
 結局は、ルールだから、としか言えない)

とりあえず、その相手に、
そういうルールだと、必ず先手が勝つからつまらないと思います
と提案してみて、それでも相手が
いや、私はこのルールでやりたい
と言うのであれば、それはもう相手の個人的な趣向の問題である。

彼は、そういうルールを設定したときに、将棋がどういう展開をするのかを
知りたがっているのだろう。それは相手の自由であり、好きにさせるべきである。

こういう場合、
そうですか、じゃあ、僕は面白くなさそうなので、そのゲームはプレイしません
という心持ちで、その場を去るだけであり、
そこに『憎しみ』『いらだち』を持ち込む必要はない。

※もし、「憎しみ」「いらだち」を覚えるとしたら、
あなたはまだ「ルール(公理、前提)」に対して、「こうあるべき」という
前時代的な幻想』を持っていることになる。
(かつては数学者たちも、自分の派閥の公理だけが正しいと思い込み、
異なる公理を持つ相手を徹底的にいじめて自殺にまで追い詰める時代があった)

20 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-01 00:36:17
「議論の前提(条件、ルール、アプローチ)」の設定について『正解』は存在せず、
誰かが独断で決めなければならないのだとしたら……、

やりたい人がやりたいようにやれば良い

と、私は考える。そう考えるがゆえに私は、
スレ主(王)に、これら議論の前提を
無根拠に独裁的に設定する権限
を与えたいと思う。

もしかしたら、
「そんな権限を与えたら無茶苦茶な前提条件を
 設定したスレ主(独裁者)が現れるのではないか」
と心配する人がいるかもしれない。
が、私はあえてこう言おう。

別にいいじゃないか!

21 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-02 09:51:55
たとえば。

前提:ご飯にプルトニウムをかけるとおいしい
前提:水をかけると放射能は消える

という、(あなたにとって)滅茶苦茶な前提をかかげるスレ主(王)がいたとする。
あなたがスレ主(王)に、
「それは一般に知られている事実と異なるので取り下げた方が良い」
と『提案』して却下されたとした場合……、
果たしてこれ以上、何を語り合う必要があるのだろうか?

また、仮に語り合ったとして、どんな益が『あなた』にあるのだろうか?

(あなたにとって)滅茶苦茶なことをスレ主が述べたとしても、
本来、あなたには何の関係もないはずである。

22 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-02 22:52:53
それに、スレ主(王)の前提が滅茶苦茶だとなぜあなたにわかるのだろうか?

たとえば、
前提:空気抵抗は無視する
という前提は、まったく現実と整合していない。
現実には空気抵抗があるのだから、
そんな前提を持ち出して『運動』について議論をしても、
現実には起こり得ない結果が導き出されるに決まっている。

だが、実際には、こうした極端な前提で議論した方が
運動』についてより本質に迫った結果が得られることがある。

という場合もあるのだから、
やらせてみればいい』のだ。

だから、「間違っている」「おかしい」なんて傲慢なことは言わず、
(そんなこと、あなたには判断できない)

「彼らは、あえて、そういうやり方でやってみたいのだろう。
 自分はやりたいとは思わないけど」

と『興味の問題』として捉え、クールな心持ちで足早にその王国を去り、
あなたが面白いと思う王国にさっさと行くべきなのである。

(そうしないで、
「現実に起こりえない想定で議論を進め、それでなんらかの結論が得られたとして、
それが果たして正しい議論と言えるのか、はなはだ疑問でうんぬんかんぬん……」
などと、いつまでもスレ主につきまとったら、一向に議論が前に進まず、
あえてその前提で議論したい』と集まってきた他の人たちに迷惑である)

23 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-03 00:42:36
以上までが、『(2)前提までさかのぼる反論』についてである。

【ポイントまとめ】
「議論の前提条件となる事柄」について議論すると有益な結果になることもあるが、
たいていの場合、延々と前提について議論し続ける方向にはまりこみ、
スレ主のモチベーションが下がったり、スレがグダグダな雰囲気になったりして、
結果、『死にスレ』になりがち。
そこで、前提についての議論は、あくまでも『スレ主への提案』という形にとどめ、
決定権をスレ主に与える。
スレ主の決定が気に入らない人は、さくさく出て行き、残った人だけでさくさく議論を行う。
そっちの方が、延々とグダグダやるより、効率が良いんじゃないの?って話。

34 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-08 09:18:26
(3)枝葉および横やりぎみな反論

さて、話を戻して、『枝葉および横やりぎみな反論』があったとき、王はどうすれば良いのだろうか?

この対処は、簡単である。

そもそも議論Wikiは、以下の仕組みで成り立っている。

@騎士が反論を書き込む。それは反論専用スレッドに並べられる。
A王は、そのスレッドから優れた反論を取り上げて、枝として表示する。

以上。上記の繰り返しが、議論Wikiのすべてである。

このような仕組みであるため、「どうでもいい反論」は単純に無視すればいい。

これより、微妙な反論が来ることで、「議論が止まってしまう」「荒れてしまう」「ケンカが始まってしまう」ことを防ぐことができる。


39 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-09 01:28:16
まず、議事録wikiの『初期状態』が下図のとおりだったとする。

■主張X
 ⇒反論スレ(0件)

ここで『反論スレ』は、
元の主張に対して『反論を受け付ける場所』だと考えて欲しい。

もし、あなたが、主張Xに対して「反論」を思いついたとするなら、
反論スレ』を指定して、書き込みを行えばよい。

※ただし、注意してほしい。
ここでいう『反論』は決して
「あなたの主張Xには、こういう問題があるから成り立たない」
という『否定(破壊)』のニュアンスのものであってはならない。
あくまでも、
「こういう問題点が指摘される可能性がありますよ」
という『提案』であり、
反論者は
指摘されそうな問題点の洗い出しに協力している
という自覚(騎士道精神)を忘れないでほしい。

40 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-09 13:23:26
さて、次の日、「議論の大樹」はこうなっていた。

■主張X
 ⇒反論スレ(13件)

さあここで、王の出番である。
王は、反論タグに集まった発言から重要なものを取り上げ、「枝」として分岐させる。

その結果、「議論の大樹」は以下のようになった。

■主張X
 ⇒【反論】コスト的に見合わない
 ⇒【反論】その主張を支持する統計データが存在しない
 ⇒反論スレ(13件)

※なお、各枝をクリックすると、より詳細な文章が表示されます。


42 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-10 10:49:40
さて、王は、枝を伸ばしたとき、その枝の下には新たな反論スレが設けられ、さらなる反論を受け付けることができる。

■主張X
 ⇒【反論】コスト的に見合わない
  ・(概要)XXXXXXX
  ・(詳細内容)XXXXXXX...(全文表示)
   ⇒『反論スレ(0件)
 ⇒【反論】その主張を支持する統計データが存在しない
 ⇒反論スレ(13件)

そして、騎士たちは、
「コスト的に見合わない」という具体化された主張に対して、
どのような反論の可能性があるか』を『全員で一緒』に模索し、
アイデア(提案)』として、それを反論スレに追加していく。

――といった感じのことを、王と騎士は繰り返して
議論の大樹』の枝をのばしていく。


43 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-10 11:47:26
※ここまでの説明で『議論の大樹』がどういうものか、
 十分わかってもらえたかと思う。
ようするに、
「ブレーンストーミング(抽象、芽) ⇒ 意見化 (具象、枝)
 ⇒ ブレーンストーミング(抽象、芽) ⇒ 意見化(具象、枝)
  ⇒ ……」
といった展開になるよう、
議論の流れを最初からシステム化しておき、かつ、
その展開が自動的に『図示化』されるよう工夫にした、
ということだ。

※なお、『議論の大樹(王を中心にみんなで作り上げる議事録)』を育成するときは、『枝を伸ばしていくこと(止揚していくこと)』にのみ、専心して欲しいので、『根(前提)を掘り起こす行為』は極力避けて欲しいと考えている。

(続く:次は『(3)王国の終焉』について)