2 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-14 09:58:18
「議論とは、『意見を持った複数の人たち』が論理だけを頼りに『対等』に話し合うことである」
これは一見、まともな議論の定義に思えるが、私は『違う』と思う。
こういう発想で行われる議論は大抵うまくいかない。
私は、むしろ議論において、論者同士は『対等であるべきではない』と思っている。
これは一見、まともな議論の定義に思えるが、私は『違う』と思う。
こういう発想で行われる議論は大抵うまくいかない。
私は、むしろ議論において、論者同士は『対等であるべきではない』と思っている。
3 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-15 09:30:48
議論における論者同士の理想の関係は『王と騎士』の関係であると私は思う。
・王は騎士の『生殺与奪権』を持っており、気に入らないものを文字通り『消す』ことができる。それゆえ騎士は王に絶対逆らうことができない。
・王は『神聖』な存在である。したがって、神である王の言葉に対して、なんぴとも『無作法に異を唱えてはならない』。
こういった関係で議論を行う方が、『対等』の関係で議論を行うよりもマシであり、効率的であると私は考えている。
・王は騎士の『生殺与奪権』を持っており、気に入らないものを文字通り『消す』ことができる。それゆえ騎士は王に絶対逆らうことができない。
・王は『神聖』な存在である。したがって、神である王の言葉に対して、なんぴとも『無作法に異を唱えてはならない』。
こういった関係で議論を行う方が、『対等』の関係で議論を行うよりもマシであり、効率的であると私は考えている。
4 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-15 10:32:06
「『対等』な関係では議論は成立しない」のは何故か。
その答えは単純に、私を含む君たちがみな『どうしようもなく未熟』だからだ。
自分の意図しない方向に議論が傾けばイライラし、『自分とは違う論理体系を持つ人』に出会えば腹立たしさを感じ、顔を真っ赤にして罵りたくなる。
そして、ときには、丁寧な言葉で相手の無理解に対して『嫌味』をネチネチと言ったり、まるで後輩にでも語りかけるような『礼を尽くさないフランクな表現』で茶化したり、相手の発言の不備を『見ている方が不愉快になるほど断定的な言い方』で責めたてたりする。
(それ自体は悪くない。腹が立つものは腹が立つ)
だから、そろそろ気づいた方がいい。
『王と騎士』といった偏った関係性でもないかぎり、『私たちはまともに議論なんてできない』ということに。
私は、ネット上の議論を見続けた結果、ネット上の『対等な議論』というものに『絶望』してしまった。
その『絶望』から次のような『新しい議論』のあり方を考えてみる。
その答えは単純に、私を含む君たちがみな『どうしようもなく未熟』だからだ。
自分の意図しない方向に議論が傾けばイライラし、『自分とは違う論理体系を持つ人』に出会えば腹立たしさを感じ、顔を真っ赤にして罵りたくなる。
そして、ときには、丁寧な言葉で相手の無理解に対して『嫌味』をネチネチと言ったり、まるで後輩にでも語りかけるような『礼を尽くさないフランクな表現』で茶化したり、相手の発言の不備を『見ている方が不愉快になるほど断定的な言い方』で責めたてたりする。
(それ自体は悪くない。腹が立つものは腹が立つ)
だから、そろそろ気づいた方がいい。
『王と騎士』といった偏った関係性でもないかぎり、『私たちはまともに議論なんてできない』ということに。
私は、ネット上の議論を見続けた結果、ネット上の『対等な議論』というものに『絶望』してしまった。
その『絶望』から次のような『新しい議論』のあり方を考えてみる。
5 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-16 11:14:43
『王と騎士による議論の概要』
まず、『志(議題)』を持つ人が『王』であることを宣言し、何もない荒野に『王国(スレッド)』を建てる。
『王』の『志(議題)』はさまざま。「エネルギー問題について解決策を模索したい」など幅広いものもありうるが、とりあえずは具体例として、次のような『志』だったとしよう。
『アイデアXによって、原発を根絶できると思います。これについて広く意見を求めます』
この『志(議題)』に惹かれた人たちが『騎士』として『王国(スレッド)』にやってくる。『騎士』は『王』に意見を献上し、『王』はその意見をまとめ、『議事録wiki』に反映する。
概要は以上である。
まず、『志(議題)』を持つ人が『王』であることを宣言し、何もない荒野に『王国(スレッド)』を建てる。
『王』の『志(議題)』はさまざま。「エネルギー問題について解決策を模索したい」など幅広いものもありうるが、とりあえずは具体例として、次のような『志』だったとしよう。
『アイデアXによって、原発を根絶できると思います。これについて広く意見を求めます』
この『志(議題)』に惹かれた人たちが『騎士』として『王国(スレッド)』にやってくる。『騎士』は『王』に意見を献上し、『王』はその意見をまとめ、『議事録wiki』に反映する。
概要は以上である。
6 名前: 飲茶 投稿日: 2012-11-16 12:39:16
『騎士から反論を受けたときに王はどうするべきか』
さて、王国(スレッド)にやってきた『騎士』がまず最初になすべきことは『王』の議題に対する『反論』の提示である。
ここで、反論はおおよそ次の3パターンが考えられるだろう。(無意味、不毛な反論は除く)
(1)核心的な反論
(2)前提までさかのぼる反論
(3)枝葉および横やりぎみな反論
以下、それぞれについて、『王』がなすべき対応を記載する。
『(1)核心的な反論』
スレ主(王)の主張について、核心をついた反論があったとき、<王はどうするべきだろうか?
その前に、「王(スレ主)」と「反論を述べる騎士(スレッド参加者)」の『立場の違い』をはっきりとさせておこう。
すべての騎士は、以下の原理(騎士道)に従って議論に参加するものとする。
なお、この原理は、『王と騎士』による議論方式の核心である。よく心に刻みつけて欲しい。
『騎士(参加者)は、王(スレ主)と対立してはならない!』
『騎士(参加者)は、王(スレ主)の主張を破壊しようとしてはならない!』
さて、王国(スレッド)にやってきた『騎士』がまず最初になすべきことは『王』の議題に対する『反論』の提示である。
ここで、反論はおおよそ次の3パターンが考えられるだろう。(無意味、不毛な反論は除く)
(1)核心的な反論
(2)前提までさかのぼる反論
(3)枝葉および横やりぎみな反論
以下、それぞれについて、『王』がなすべき対応を記載する。
『(1)核心的な反論』
スレ主(王)の主張について、核心をついた反論があったとき、<王はどうするべきだろうか?
その前に、「王(スレ主)」と「反論を述べる騎士(スレッド参加者)」の『立場の違い』をはっきりとさせておこう。
すべての騎士は、以下の原理(騎士道)に従って議論に参加するものとする。
なお、この原理は、『王と騎士』による議論方式の核心である。よく心に刻みつけて欲しい。
『騎士(参加者)は、王(スレ主)と対立してはならない!』
『騎士(参加者)は、王(スレ主)の主張を破壊しようとしてはならない!』
25 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-04 12:34:02
『騎士(議論参加者)は、王(スレ主)と対立してはならない』
これはいったいどういうことだろうか?
そもそも、主張を述べた相手(スレ主)と対立しないで、『反論』なんてできるのだろうか?
私は、『できる』と考える。
ちょっと、議論を『将棋』にたとえてみよう。
王が、こんなことを言ったとする。
「私が考えた、この布陣(コマの配置)はどうだろう。鉄壁だろう?」
この王の主張に対して、周囲の人々がこんなふうに反論したとしよう。
反論者A「いやいや、ここに穴があります。こう攻めたら、ほら……終わりです」
反論者B「全然鉄壁じゃありません。こっちにも穴があります。こう攻めたら……、あなたはどうするんですか?」
私は、こういう反論は『ダメ』だと思う。
言い方も丁寧で、内容が妥当であったとしても……
『私は、こういうニュアンスの反論は全部ダメだと思う』。
これはいったいどういうことだろうか?
そもそも、主張を述べた相手(スレ主)と対立しないで、『反論』なんてできるのだろうか?
私は、『できる』と考える。
ちょっと、議論を『将棋』にたとえてみよう。
王が、こんなことを言ったとする。
「私が考えた、この布陣(コマの配置)はどうだろう。鉄壁だろう?」
この王の主張に対して、周囲の人々がこんなふうに反論したとしよう。
反論者A「いやいや、ここに穴があります。こう攻めたら、ほら……終わりです」
反論者B「全然鉄壁じゃありません。こっちにも穴があります。こう攻めたら……、あなたはどうするんですか?」
私は、こういう反論は『ダメ』だと思う。
言い方も丁寧で、内容が妥当であったとしても……
『私は、こういうニュアンスの反論は全部ダメだと思う』。
26 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-05 10:16:58
私が考える反論の『作法』はこうである。
まず、騎士(反論者)は、決して王の反対側の席には座らない。
騎士(反論者)は、あくまでも王(主張者)の『味方』であり、『身内』であり、王と『同じ側の席』に座っていなければならない。
ゆえに、反論は、次のような形式となる。
騎士A「王様、仮に敵が攻め込んでくるとしたら……、おそらく、ここに弱点があるとみて、こう攻めてくると思います」
騎士B「もしくは、あっちの方から攻めてくるという手も考えられます」
すなわち。
「反論者自身が、対立者として王の主張の問題点を『指摘』する」
のではなく、あくまでも、王の身内の立場として
「仮想的な敵としての対立者を想定し、その対立者がどんな反論を述べてくる可能性があるかを『提示』する」
のである。
私は、これが『正しい反論の作法』だと考えている。
まず、騎士(反論者)は、決して王の反対側の席には座らない。
騎士(反論者)は、あくまでも王(主張者)の『味方』であり、『身内』であり、王と『同じ側の席』に座っていなければならない。
ゆえに、反論は、次のような形式となる。
騎士A「王様、仮に敵が攻め込んでくるとしたら……、おそらく、ここに弱点があるとみて、こう攻めてくると思います」
騎士B「もしくは、あっちの方から攻めてくるという手も考えられます」
すなわち。
「反論者自身が、対立者として王の主張の問題点を『指摘』する」
のではなく、あくまでも、王の身内の立場として
「仮想的な敵としての対立者を想定し、その対立者がどんな反論を述べてくる可能性があるかを『提示』する」
のである。
私は、これが『正しい反論の作法』だと考えている。
27 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-05 22:35:51
さて、騎士から『反論の可能性』を提示された王は、
その反論の反論、すなわち『擁護』の理屈を考えなくてはならないが、反論者である騎士は『身内』なのだから、なにも王だけが『擁護』を考える必要はないだろう。
というよりも、むしろ、
『反論』を提示した人も含めて全員で『反論の反論を一緒に考える』
のが正しい王国(スレッド)の姿である。
これを将棋にたとえると、こういう形になる。
王「というわけで、敵は、A,Bのいずれかから攻めてくることが特定できました。では、いったんAに話を絞りましょう。Aはこちらにとって厳しい手ですが、どういう対応策が考えられるでしょう」
騎士A「うーん、私なら、こう返しますね」
騎士B「もしくは、こういう返し方もあるかと」
王「では、それぞれについて、ひとつひとつ吟味していきましょう。Aに対して、Xという返しをしました。さて、このXという返しに対して、どういう問題が考えられるでしょうか?」
その反論の反論、すなわち『擁護』の理屈を考えなくてはならないが、反論者である騎士は『身内』なのだから、なにも王だけが『擁護』を考える必要はないだろう。
というよりも、むしろ、
『反論』を提示した人も含めて全員で『反論の反論を一緒に考える』
のが正しい王国(スレッド)の姿である。
これを将棋にたとえると、こういう形になる。
王「というわけで、敵は、A,Bのいずれかから攻めてくることが特定できました。では、いったんAに話を絞りましょう。Aはこちらにとって厳しい手ですが、どういう対応策が考えられるでしょう」
騎士A「うーん、私なら、こう返しますね」
騎士B「もしくは、こういう返し方もあるかと」
王「では、それぞれについて、ひとつひとつ吟味していきましょう。Aに対して、Xという返しをしました。さて、このXという返しに対して、どういう問題が考えられるでしょうか?」
28 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-06 10:06:06
・『反論者自身が、対立者になってはならない』
・『反論者は、あくまでも身内の立場として、反論の可能性を提示する』
・『反論を述べた人も含めて、みんなで反論の反論を考える』
さて、このような原理で『王と騎士』が議論(反論と擁護)を重ねていくと、以下のようなイメージで、『議事録Wiki』は枝を伸ばしていくことになる。
(例1)
主張「アイデア]を適用すれば原発は根絶できる!」
⇒反論A
⇒擁護A−1
⇒反論A−1−1
⇒反論A−1−2
⇒反論B
⇒擁護B−1
⇒反論B−1−1
⇒擁護B−1−1−1
⇒……
王(スレ主)は、『議事録Wiki』の管理者である。
王は、議事録Wikiにおけるこの「木の枝」、すなわち『議論の大樹(ユグドラシル)』を大事に育て、元気にし、美しくのばしていくことについて責任を負わなくてはならない。
・『反論者は、あくまでも身内の立場として、反論の可能性を提示する』
・『反論を述べた人も含めて、みんなで反論の反論を考える』
さて、このような原理で『王と騎士』が議論(反論と擁護)を重ねていくと、以下のようなイメージで、『議事録Wiki』は枝を伸ばしていくことになる。
(例1)
主張「アイデア]を適用すれば原発は根絶できる!」
⇒反論A
⇒擁護A−1
⇒反論A−1−1
⇒反論A−1−2
⇒反論B
⇒擁護B−1
⇒反論B−1−1
⇒擁護B−1−1−1
⇒……
王(スレ主)は、『議事録Wiki』の管理者である。
王は、議事録Wikiにおけるこの「木の枝」、すなわち『議論の大樹(ユグドラシル)』を大事に育て、元気にし、美しくのばしていくことについて責任を負わなくてはならない。
29 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-06 10:06:53
以上までが、『(1)核心的な反論』についてである。
スレ主(王)の主張について、核心をついた反論があったとき、王はどうするべきか?
結論は以下である。
・議事録Wikiにその反論を掲示し、その反論の反論をみんなで『一緒』に考える。
スレ主(王)の主張について、核心をついた反論があったとき、王はどうするべきか?
結論は以下である。
・議事録Wikiにその反論を掲示し、その反論の反論をみんなで『一緒』に考える。
30 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-07 00:01:45
(補足)
『反論者は、あくまでも身内の立場として、反論の可能性を提示する』
ところで、なぜ反論者は『わざわざ身内の立場』として、反論を述べなくてはならないのか?
その理由は単純である。我々が『未熟』だからである。我々が『反論されると感情をかき乱される心の弱い動物』だからである。
「そんなことはない。まともな反論であれば、ぜんぜん冷静でいられる。まともな反論を受けて感情が乱されるとしたらそれは乱した方が悪い」
という意見もあるだろう。
しかし、あえて言おう。
『無理!』
『反論者は、あくまでも身内の立場として、反論の可能性を提示する』
ところで、なぜ反論者は『わざわざ身内の立場』として、反論を述べなくてはならないのか?
その理由は単純である。我々が『未熟』だからである。我々が『反論されると感情をかき乱される心の弱い動物』だからである。
「そんなことはない。まともな反論であれば、ぜんぜん冷静でいられる。まともな反論を受けて感情が乱されるとしたらそれは乱した方が悪い」
という意見もあるだろう。
しかし、あえて言おう。
『無理!』
31 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-07 07:59:23
「反論されたときは、自分では気づかなかった問題点を教えてもらえたと思って、相手に感謝しましょう(^△^)」
なんて話を、議論の作法としてよく聞くが、でもやっぱり「無理」だと思う。
僕たちは、ちゃんとした反論だろうが、なんだろうが、公共の掲示板で面と向かって反論されると、『ドキっ』としたり、『グサっ』ときたり、
『カッチーン』ときてしまう心の弱さを持っている。
そこは、もう正直に認めてしまっていいと思う。
なんて話を、議論の作法としてよく聞くが、でもやっぱり「無理」だと思う。
僕たちは、ちゃんとした反論だろうが、なんだろうが、公共の掲示板で面と向かって反論されると、『ドキっ』としたり、『グサっ』ときたり、
『カッチーン』ときてしまう心の弱さを持っている。
そこは、もう正直に認めてしまっていいと思う。
32 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-07 22:47:58
どうしても、僕たちは、
『勝ち/負け』『論破する/論破される』『優/劣』
といった『二項対立』のパラダイムで『世界』をみてしまう。
そして、そういう『パラダイム(ものの見方)』を
持っているからこそ、議論で反論を受けると感情がかき乱されてしまう。
『議論が苦手』という人は世の中に多いと思うが、
その理由の根本は、結局のところ、この『議論=勝ち負け』という「パラダイム(思い込み)」
にあると思う。
ようは、
「なんか議論するとさ、反論したり、反論されたりで、なんかギスギスした空気になるじゃない。あの雰囲気って嫌なんだよね」
という話だ。
『勝ち/負け』『論破する/論破される』『優/劣』
といった『二項対立』のパラダイムで『世界』をみてしまう。
そして、そういう『パラダイム(ものの見方)』を
持っているからこそ、議論で反論を受けると感情がかき乱されてしまう。
『議論が苦手』という人は世の中に多いと思うが、
その理由の根本は、結局のところ、この『議論=勝ち負け』という「パラダイム(思い込み)」
にあると思う。
ようは、
「なんか議論するとさ、反論したり、反論されたりで、なんかギスギスした空気になるじゃない。あの雰囲気って嫌なんだよね」
という話だ。
33 名前: 飲茶 投稿日: 2012-12-08 00:37:00
私は、この
『「議論=勝ち負け(論者同士の対立)」というパラダイム』
(議論とは勝ち負けではないと承知しつつも、
どうしてもそのように捉えてしまう僕たちのものの見方)
を変えたいと願っている。
しかし、とはいえ、
「対立はいけませんよ」とか
「相手の感情に配慮して反論を述べましょう」
といった『精神論』『お題目』を叫んだところで、
それが役に立つとも思えない。
だから、議論の構造自体を変更するべきだと思う。それは次のようにだ。
「議論とは、仮想敵(モンスタークレーマー)を想定し、その共通の敵に向かって、『全員』が一丸となって論を補強していくゲームである」
もしくは、
「ある主張から出発したとき、どこまで反論と擁護の枝をのばすことができるのか、その限界に『みんな』で挑戦するゲームである」
『「議論=勝ち負け(論者同士の対立)」というパラダイム』
(議論とは勝ち負けではないと承知しつつも、
どうしてもそのように捉えてしまう僕たちのものの見方)
を変えたいと願っている。
しかし、とはいえ、
「対立はいけませんよ」とか
「相手の感情に配慮して反論を述べましょう」
といった『精神論』『お題目』を叫んだところで、
それが役に立つとも思えない。
だから、議論の構造自体を変更するべきだと思う。それは次のようにだ。
「議論とは、仮想敵(モンスタークレーマー)を想定し、その共通の敵に向かって、『全員』が一丸となって論を補強していくゲームである」
もしくは、
「ある主張から出発したとき、どこまで反論と擁護の枝をのばすことができるのか、その限界に『みんな』で挑戦するゲームである」
(続く:理想の議論のやり方(2))